- 投稿 2019/05/10更新 2019/11/19
- 日々役に立つもの
終活とは
終活とは「人生の終わりについて考えること」ですが、
年齢を重ねてきて、あと何年生きれるのだろうか、やり残したこと、
今のうちにやっておきたい事、健康で身体が動くうちにと
考えるようになりました。
同級生が何人か亡くなっていたり、「死」をより身近に考えるようになり、
終活を行うことで、今の自分の置かれている状況や、
これまでの人生を振り返って、やり残して死ぬ前にやっておきたいことを、
やってみたかった事を、改めて客観的に把握し、これからの目標に設定し、
残りの人生を豊かな充実したものにしていこうという思いと
いざ自分が死ぬときに家族に迷惑をかけないように
身の回りをキレイに整えることをやっておこうとの思いで終活としての断捨離の決行で
す。
断捨離とは
断捨離とはただ部屋を片付けるものというものではなく、
不要な物を減らし、生活に調和をもたらそうとする思想であり、
やましたひでこ(山下英子)の著書において発表されたもので、
断捨離は、「もったいない」という固定観念に凝り固まってしまった心を、
ヨーガの行法である断行(だんぎょう)・捨行(しゃぎょう)・離行(りぎょう)を応用
し、
捨:家にずっとあるいらない物を捨てる。
離:物への執着から離れる。
として不要な物を断ち、捨てることで、物への執着から離れ、
自身で作り出している重荷からの解放を図り、
身軽で快適な生活と人生を手に入れることが目的です。
現代の生活の断捨離
もうたくさんのものに囲まれて生活することは幸せではなくなりました。
今の時代、私くらいに歳になると、昔のように右にならえのようにみんな持っているから
自分も欲しいという感覚は薄れていっているようです。
人それぞれやりたい事や生業にしていることは違うので
それぞれの価値観でそれぞれが大事に思うものを大切にする事で
物の価値観に縛られないミニマム生活に憧れたり、
部屋にモノがあふれていないことを望んでいます。
日本での伝統的な「もったいない」が、
行き過ぎて物を捨てられなくなって、
やがて物が家中・部屋の中を支配するようになって、
快適なはずの生活空間までが圧迫され、物の間で生活するようになり、
狭い家がもっと狭くなり、膨大な時間や気力を奪われるようになってしまうのです。
やがてそれは知らず知らずのうちに大きな重荷となって、のしかかってくるのです。
断捨離とは「ただ捨てるだけ」ではなく、
たくさんの自分の物のうち「何を残し、何を捨てるか?」を自分なりに考えることです。
それは物を通じて自分と向き合うこと。
これを欲しいと思って買った自分はどんな気持ちだったのだろうと、
なんで欲しかったのだろうと
自分自身を深く知るということなのです。
過去の自分に出会い、話し合って気持ちを確認することなのです。
だから、断捨離をして残った物たちはこれからの自分を象徴しているものです。
「自分がこの先の人生で何をしたいのか?」
「どう生きていきたいのか」を教えてくれるものです。
断つ、捨てる、離れる…の3つのステップを当てはめるだけ
断つ、捨てる、離れる…の3つのステップを当てはめるだけで、
毎日の暮らしが変わるのです。
そういう体験談をたくさん見てきています。
断捨離が本当に凄いのは、モノだけじゃなくて、付き合う人…つまり人間関係まで変わっていくこと。
自分が使ったり身につけたりするモノと自分との関係に向き合っていると、
そのモノが「自分で自分をどのように扱っているか」ということを私に教えてくれる。
そして、これに気付くことが本当に大切だ。
断捨離をしてみてわかったのだけれど、それまでの私は、自分自身をテキトーに扱っていた。
結局、自分にテキトーなモノを与えていると、人からもテキトーな扱いを受けるんだ、そう思い当たるフシがいくつもあった。
断捨離をすることで、身に付けるモノや使うモノをお気に入りに変えると(別に高いものじゃなくても)、モノが自分を高めてくれるのを感じるようになった。
すると「あの人はあんな素敵な生活をしているから、こんなお粗末なモノはあげられない」というように、周りの反応が少しずつ変わっていくのが感じられたのには、本当に驚いた。
それに、身の回りのモノを断つ、捨てる、離れる…と繰り返していると、自分に不要な人の誘い、イヤな誘いを断る勇気も出てくる。
その結果、自分の大好きな人、大切な人との時間が増える。
しかも、不思議なことにその人が、今の自分に必要な人を紹介してくれて、新たな出逢いが流れ込んでくる…なんてこともすごく多くなった(以前なら、こんな人と出逢うなんて考えられなかった…なんて人との出逢いも)。
だからといって、断捨離では別に高いモノやブランド品が必要なわけじゃない。
「自分にとって」お気に入りのモノを選ぶようになれば、最終的には自分と人との関係も変えていく力があるんだと実感できた。
終活としての断捨離
終活や断捨離は、社会背景が深く関係しているようです。
現在、日本は少子高齢化がすすみ、近い将来、団塊の世代が介護を受けるようになりま
す。
高齢者の間では周囲や家族に迷惑をかけずに、人生を終わらせたいと望み、そのための準
備をする人が増えてきています。
子どもが1人だけの家庭が増えていることもあり、子どもへ負担をかけないために生きて
いる間に断捨離をする「終活」をする人が増えてきています。
終活の本来の目的は、充実した老後をすごすことです。
葬式やお墓、相続に関する準備を事前に行うことで、老後は安心して生活を送ることがで
きるようになります。
これらの準備がきちんとできていれば、残された家族に負担をかけることもなくなり、
また断捨離をすることで、身のまわりにあるものを減らし、死後に片付ける家族の負担が
減るのです。
終活と断捨離は、残された家族のためでもあるのです。
私の場合
まず実家ですが、90になる父と同居を考えていて、実家の荷物を片付けながら
私もいま住んでいる家の子ども達が巣立った後の荷物を断捨離して
実家の2階に引っ越すのでそれぞれが必要最小限の荷物で新生活をスタートさせるための断
捨離です。
母が亡くなる前、数年間は、父は認知症になった母の介護で部屋の掃除はおろか、
何処に何があるかも把握しておらず
母が亡くなった今、私が把握しないとこれから父に何かあった時に困るという事もあって
実家の断捨離・片付けを始めるに至りました。
片付けの注意点
一気にやろうとしないで今日はここ、今度はあそこという具合にちょっとずつ片付けま
す。
年取った父が混乱しないためにも、少しずつ、自分の物はなるべく自分で片付けてもらい
ます。
おおよそ4ヶ月くらいをめどに計画を立てました。
最初は、大きな家具とかの断捨離はせず、おもに押し入れや棚の中の整理です。
まず最初は、母の衣類ですね。父に聞きながらやっています。
もう母はいないので、もったいないのと思う洋服もありましたが誰も着ないので
思い切って捨てました。
それが一か所にまとまっていなくて、開けるとこ開けるとこ入っているので
そのたびに分別して、捨てながらやっています。
うちの中、すべてがそんな風で一か所にまとまっていなくて、
あちこちにいろんなものが混ざって入っている状態で、
しかも、昭和初期の人なので、スーパーの袋から、街頭でもらったポケットティッシュに
至るまで捨てないで取ってあるのです。
汚いものは捨て、使えるものは残しをやって分類しつつ、整理しています。
母の思い出のあるものもあるので、ポンポン捨てないで
山盛りのごみを車に乗せて、うちにもって帰って、自宅でさらに細かく選別し、
捨てるもの、残すもの、分けてごみ収集に出しています。
中には、これ捨てられないよっていうものも入っていて、
それはわたしが保管しています。
生前整理・老前整理は、元気なうちに身のまわりにあるものを整理することです。
父がまだ元気でいろいろわかっているうちにどこに何があるかを
私が把握できるようにしたいので
うちの中のものはすべて一度ひっくり返してみて、片付け把握していきます。
父の生前整理と私の老前整理を一緒にやっている訳です。
終活とも関係していますが、残された私が快適な老後生活を送るために両親の物を整理す
る老前整理、
家族のことや残りの人生を考えて財産分与・不用品などを処分したい父は生前整理という
事になります。
家族の負担を減らし、自分の意志を残すために、終活の断捨離が必要ということです。
終活における断捨離の心得
1)基本的に、今使っていないものは処分する。
2)家の中に持ち込むものを減らすこと。
要らないものを手放すためには、ものへの執着心から離れることが大切。
物欲から距離を置く「離」を実践することで、断捨離が成立します。
まとめ
先日、テレビを見ていて「断捨離」をやっている過程を見ました。
捨てるものを触ってみて、心がときめくかどうかで捨てる捨てないを決めると言っていま
した。
最初、捨てないと言っていた物でも、しばらく断捨離をしていくうちに
物への執着が無くなって行くように、「これ捨てます。」というように変化していくのに
とても興味を持ちました。
そして、物にまつわる自分の人生の思い出などを涙したり、徐々に心の整理も出来てきた
かのように、顔つきまで変わってきて、生活も目に見えて変化が表われました。
物だけでなく、心も何かから解放されていくのを感じました。
焦らずに毎日、少しずつでも断捨離ができるようになると
何かが変わっていくように思います。
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